偉人紹介

トーマス・エジソンの名言/逸話まとめ

トーマス・エジソンとは

1847年に生まれた発明家で生涯に1300もの発明と技術革新を行った人物である。
エジソンは「発明王」「非常な努力家」「不屈の人」「訴訟王」としても知られている。

少年時代では学校での教育を受けれない状況に陥ったが、図書館での独学しており、
販売員などにより低賃金ながらコツコツと資金稼ぎ、自身専用の研究室を作るなど、
学識、研究のためならどんな努力も厭わないほどに生粋の研究オタクであった。

また、エジソンは今でいう産業財産権を非常に重要視しており、
自分が発明した権利や技術を盗もうとする輩に対して非常に厳しく対応していた。
頻繁に訴訟を起こし裁判沙汰になっていたため「訴訟王」という異名も付けられたほどである。

1300を超える技術に対して権利を守り抜くのは非常に大変であったに違いない。
代表的な発明では、
 電話 蓄音機 白熱電球 などがある。

トーマス・エジソンの生涯における逸話

小学校を3カ月で退学処分に

少年時代のエジソンは、好奇心が旺盛すぎるが故に
学校の授業中にも事あるごとに「なぜ?」と先生を質問攻めしていた。

算数の授業中に、"1+1=2"と教えられても、
「1個の粘土と1個の粘土を合わせても、1個の大きな粘土なのになぜ2個になる?」
国語の授業中に、アルファベットの発音を教えられても
「A(エー)はどうしてP(ピー)と読まない?」

など質問し、先生を困らせる問題児であったようだ。
結果として「他の生徒の迷惑だ」「君の頭は腐っている」と馬鹿にされて
入学から3か月で退学処分となってしまった。

懐かしいな。私も三の段の掛け算が分からず先生を困らせたわ

あんたの場合は問題児というよりはシンプルなバカやけどな

あまりの好奇心旺盛のために人体実験まで

学校外においてもその好奇心はとどまらず、

"なぜ物は燃えるのか?"と疑問を抱き
自宅の納屋で藁を燃やす実験した結果、納屋を全焼させたり

人間が空を飛べるようになる薬を作ろうと、体内でヘリウムガスが発生薬を開発し
友人に飲ませたところ、ひどい腹痛に襲われ大騒ぎになったこともあった。

普段は理解を示していたエジソンの母親もこの人体実験には激怒して厳しく叱ったそうで、
その後エジソンは人命に関わる実験はしなくなったようである。

こいつ人間風船でも作ろうとしてたんやろか
にしてもリスクある人体実験はちゃっかり他人で試すのが恐ろしくない?

これは一歩間違えれば刑務所行きやったな
母親が良き指導者でよかったなトーマス

仕事に発明した機械を導入してズルをする

17歳頃のエジソンはカナダの駅で夜間電信係として働き、その業務の中で

「夜間勤務中、何事もなければ1時間おきに勤務に就いていることを示す信号を送る」

という仕事をするも、彼にとってはあまりにも退屈であったために
時計を用いて1時間おきに自動で電信を送る機械を発明した。

その後の電信は機械に任せて自身は勤務中優雅に寝ていたところ、
1秒の誤差なく正確に届く電信を不審に思った上司が様子を見に来て
寝ている姿を目撃され「お前が寝てたら意味ないだろ」と至極真っ当のことを言われてしまう。
解雇には至らなかったが、その後に通信ミスによる列車衝突事故を起こしかけ、放浪生活に移る。

いつの時代でも、人間は仕事をサボりたい生き物なんやな。
ちなみにこれがエジソンにとってはこれが最初の発明らしいで。
常人と同じような仕事は向いてなかったみたいやな。

なんか安心したわ

22歳で"株式相場表示機"の発明。2億円相当を稼ぐ

21歳のエジソンは、議会選挙における"電気投票記録機"と言う名の、
議会の賛成と反対を瞬時に集計し、投票時間を激減させる機械を発明をしたが、
当時の議会における投票時間は牛歩戦術のために必要な時間となっており、
投票時間が短縮される"電気投票記録機"は採用されるに至らなかった。

この件でエジソンは「発明で人々が喜んでくれなければ意味がない」と痛感し、
その後は周囲の意見や要望を聞いて、人々が必要としているモノの発明に取り組んだ。

そして翌年に業界から大歓迎される"株式相場表示機(ティッカー)"を開発。
その特許権の値は、4万ドル(現在の日本円で約2億円相当)として取引がされた。

当初エジソンが想定していた8倍近い値段であったためにかなり驚いたそうだ。
此処をスタート地点として、本格的に発明家としての人生を歩んでいくことになる。

その若さで2億円!?ズッル!!
あとは資産家として不労所得で生きていけるやん。

アホ言うな!世のために偉大な発明したからやぞ
1日中Youtube観て向上心の欠片もないあんたと一緒にすな

エジソンは生涯で2度の結婚をしている

エジソンは24歳と39歳の頃に結婚をしている。

1871年の24歳にはメアリー・スティルウェルという16歳の女性と結婚したが、
エジソンが研究に没頭し家に帰らないことでメアリーは引きこもりがちになり
体調を崩し29歳の若さで亡くなった。

メアリー・スティルウェル

その2年後の1886年に、20歳のミナ・ミラーという女性と2度目の結婚をすることになる。
また、エジソンはモールス信号を用いてプロポーズをしていたようだ。

ミナ・ミラー

2度の結婚を経て、エジソンは6人の子どもをもうけている。
マリオン・エジソン(1873)
トーマス・エジソン・ジュニア(1876)
ウィリアム・エジソン(1878)
マドレーン・エジソン(1888)
チャールズ・エジソン(1890)
セオドア・エジソン(1898)

待て待て、トーマス・エジソン・ジュニアってさすがにエゴが強すぎるやろ!!
こんな命名許されてええんか!?

素敵やなぁ・・・私もモールス信号でプロポーズされてみたいわぁ

人の話聞けや!

1日の大半を研究に費やす

「非常な努力家」「不屈の人」と言われていたように、
エジソンは労働時間に捉われずに、睡眠時間を削ってまで日々研究に取り組んでいた。

当時は1日8時間労働が基準となっていたが、
「私が仕事を1日8時間に限っていたら、成功はおぼつかなかったはずだ」と発言し
1日3時間ほどの睡眠時間の中で研究に没頭していたという。

周囲から"エジソン研究所の時計には針がない"とささやかれていたようで、
ユニークな言われ方をしているが、現在でいうとただのブラック企業である。

エジソンは80歳を過ぎても「私の仕事を終わらすために、あと15年は働かなければならない」
言いながら16時間のペースで仕事を続けており、亡くなる84歳まで働き続けていたようだ。

エジソン研究好きすぎやろ、こんな生活でよく84歳まで生きたな

研究に没頭するあまり、嫁さんに対して「君は誰だ?」と言って怒らしたらしいで

そりゃ怒るわ・・・

『1日3食』を定着させた

当時の西洋人の食生活は1日2食が基本であったが、エジソンは『1日3食』として生活しており、
新聞社の記者に「研究成功の秘訣はなんですか?」という質問を受け、
エジソンは「毎日欠かさず3食食べる事です」と回答したようだ。

それを知った西洋の人々は今まで常識であった2食を改め『1日3食』を心掛けるようになり、
今の私たちの食生活にも繋がっているとされている。

なお、当時エジソンが1日3食を提唱した背景には
自身が発明したトースターを売るためであるとも言われている。

1日21時間も活動してたらそりゃ2食じゃ足りんわな

発明品の営業目的のインタビュー回答やったとしても、
皆が食生活を模倣するほどに、当時から偉大な人物やったんやな

トーマス・エジソンの名言集

天才は1%のひらめきと99%の努力
Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration.

エジソンの名言を代表するこの言葉だが、実は2つの解釈がある。
一般的には、「天才であってもひらめきは1%程度で、残りの99%を占める努力が大切」と言う解釈だが、
一部からは、「1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄に終わる」という解釈もある。

この名言が発表されたのはエジソンの死後であるため、確証はないのだが
「努力家」として知られるエジソンの経歴や他の名言から考察すると、
数々の失敗から成功を導きだしていた彼が言いたかったことは
一般的な解釈である
「ひらめきには努力が必要であり、研究にもっとも大切な要素は努力」であったと思われる。

また、アメリカであっても「天才であっても努力が必要」という意味で用いられているようだ。

何かが君の考えたとおりに運ばなかったからといって、それが役立たずだという意味にはならない
Just because something doesn't do what you planned it to do doesn't mean it's useless.

まず世界が必要としているものを見つけ出す。そして、先へ進み、それを発明するのだ。
I find out what the world needs. Then, I go ahead and invent it.

売れないものは発明したくない。売れることが実用性の証明であり、実用性が成功を意味する。
Anything that won’t sell, I don’t want to invent. Its sale is proof of utility, and utility is success.

権威ある本といっても、すべては人の書いたものだ。
All Bibles are man-made.

発明のためには、優れた想像力とがらくたの山が必要だ。
To invent, you need a good imagination and a pile of junk.

ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。勝負はそこからだというのに。
Nearly every person who develops an idea works at it up to the point where it looks impossible, and then gets discouraged. That’s not the place to become discouraged.

私は一日たりとも、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないからだ。
I never did a day’s work in my life. It was all fun.

首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる。
From his neck down a man is worth a couple of dollars a day, from his neck up he is worth anything that his brain can produce.

人生に失敗した人の多くは、諦めたときに自分がどれほど成功に近づいていたか気づかなかった人たちだ。
Many of life’s failures are people who did not realize how close they were to success when they gave up.

完全に満足しきった人がいたら、それは落伍者だ。
Show me a thoroughly satisfied man and I will show you a failure.

私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。
Our greatest weakness lies in giving up. The most certain way to succeed is always to try just one more time.

最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる。
The best thinking has been done in solitude. The worst has been done in turmoil.

私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work.

私が成功することができたのは、仕事場に時計がなかったおかげである。
I owe my success to the fact that I never had a clock in my workroom.

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