偉人紹介

人類最強スナイパー"シモヘイヘ" 逸話や戦績について紹介

シモ・ヘイヘとは

スナイパーとしてフィンランド陸軍に所属していた軍人である。

シモヘイヘ

フィンランドとソビエト連邦の間で勃発した冬戦争において、
ヘイヘは確認戦果だけでも542名の射殺記録を保持しており、
この記録はスナイパーとしては史上最多となっている。

それ故に、戦時中ソビエト軍からは"白い死神"として恐れられ、
終戦したころには"人類最強の戦士"として呼ばれることになった。

キルレ542!?ありえへんチートやろこいつ

すぐゲーム脳で考えるのやめーや
ちなみに非公式の射殺もカウントしたらさらに戦果があったとされてるで

シモヘイヘの基本情報

名前シモ・ヘイヘ(愛称:シムナ)
生涯96歳没 (1905 - 2002)
国籍フィンランド
身長152cm
渾名白い死神 人類最強の戦士
職業猟師 兼 農家
軍歴20歳~35歳(1925 - 1940)
最終階級少尉
除隊後の職業猟師 兼 猟犬ブリーダー

冬戦争とシモヘイヘ

冬戦争は1939年~1940年にかけて起こった戦争となっており、
ヘイヘも冬戦争の一部であるコッラの戦いに参戦している。

そもそも冬戦争が起きた理由は、
ソビエト連邦がフィンランドを侵略したいがために起こした戦争となっていたが、
当時のソビエト連邦にはフィンランドを侵略する大義名分がなかったために、
あろうことか自分で自分の軍を砲撃させ兵士を殺した上で、
我々の軍隊がフィンランド軍からの攻撃を受けた」と因縁つけて冬戦争は起きた。

開戦時の戦力差は、
フィンランド軍25万人、ソビエト連邦軍は100万人
約4倍近い戦力差があり、結果は火を見るよりも明らかであったが
フィンランド軍は大寒波が来るまで辛抱強く撤退し温存し、
大寒波到来とともに疲弊したソビエト連邦軍を蹴散らした。

対してソビエト連邦軍は冬戦争が数日で終わると想定していたため、
兵士や兵器の防寒を完全に怠った状態での大寒波襲来となり、
銃や戦車はまともに動かず、最悪のコンディションであった。

最終的にフィンランド軍はソビエト連邦の侵攻を防ぎ独立を守りきった。
この勝利は、"冬戦争の奇跡"として語られるようになる。

自作自演で勝手に侵略戦争起こすとかどうなっとんねんソ連
こんなん当たり屋ですら同情するレベルやぞ

当然世界中から非難浴びたけど、侵略大好きなスターリン閣下やからな。
早々に戦力差でビビらして相手の降伏を期待してたみたいやけど
フィンランドの抵抗が強すぎて征服は失敗してしまってるんや

シモヘイヘの活躍

ヘイヘはコッラ―川を防衛する任務にあたるがこれまた戦力差が激しく、
フィンランド軍が32人に対してソビエト連邦軍は4000人もいたとされる。

だれもが人海戦術ですぐに陥落するかと思いきや、純白のギリースーツに身を包んだヘイヘは
相手に居場所を悟られることなく一方的に相手の頭部を正確に射抜き続けた。

すぐにヘイヘの存在を脅威とみなしたソビエト連邦軍は、
ヘイヘを排除すべく、スナイパー軍投入や戦車による砲撃を試みるが
彼を射殺することは叶わず、逆に戦車長を射殺されヘイヘ特製の火炎瓶で戦車を破壊される事態に。

ヘイヘ達が防衛する丘に近づけばもれなく射殺されることから、
恐れたソビエト連邦軍はその丘のことを"殺戮の丘"とまで呼ぶことになった。

終戦間際に左顎に銃撃を受けたものの、ヘイヘ達は終戦までコッラ―川を防衛することに成功。
ヘイヘが参戦したのはこの3ヶ月だけにも関わらず、スナイパー最多の射殺数を記録し
その功績はこうして語り継がれるようになった。

実戦期間はたった3ヶ月で歴史に残るレベルの戦果をあげたのか
いったいどこで狙撃の腕を鍛えてたんやろか

もともと猟師で人間より的が小さいカモを狩ってたらしいし、そこで培われた能力やろな
20歳で軍に加入してからは、射撃大会に参加する度にトロフィーを独り占めしてたみたいや

シモヘイヘの逸話

シモヘイヘ

射撃の練習は誰よりも熱心

カモ猟師を生業して生活していヘイヘは軍に属する前から射撃の練習を欠かさず行っており、
仕事仲間が昼休憩する間にも、ヘイヘだけは休憩をとらずその時間を射撃練習に充てていたようだ。

その甲斐あっても射撃訓練では、150mの距離から1分間に16発を的中させており、
実践でも300m離れた敵兵の頭部を正確に射撃することができたという。
命中する確信がないと撃たなかったらしく、百発百中であったとされる。

また、
冬戦争で功績を残したことに対してインタビューを受けた際
「狙撃の秘訣は」と聞かれた際には、一言で「習熟だ」と答えている。

ヘイヘの身長は152cmと小柄であったが、120cm以上もある狙撃銃を
いとも簡単に扱っていたとも言われている。

1分16発って4秒1発ペースやないか。キルマシーンかこいつ

生涯を通して銃が一番の相棒やったみたいやな
小柄な身体も戦場で身を隠すためには有利に働いたのかも知れんな

あぁ、当たり判定の小さいキャラが基本有利なんはウチでも分かるで

・・・

戦場にて敵兵にバレない工夫

射撃戦においては先手必勝が基本となるが、
ヘイヘも先手を取るためにあらゆる手段を講じていたとされる。

銃に倍率スコープは使わない

ヘイヘが使っていた銃はモシン・ナガンという銃で、
最高4倍の倍率を持ったスコープを装着することができたのだが、
ヘイヘは軽量化やスコープのレンズが反射して位置を悟られることを嫌い、
銃身について照準のみで狙撃を行ったとされる。

逆に相手のスコープが反射したことで場所を特定し射撃したこともあるようだ。
また、猟師時代からの射撃姿勢に慣れていたヘイヘは、スコープを覗くことで
いつもの射撃姿勢が取れなくなってしまう問題もあったようだ。

身動きせず、吐息すら見せない

ヘイヘが防衛したコッラ―川は-20℃から-40℃の極寒の地となっており、
常人であれば身の危険を感じる気温であるが、
シモヘイヘはその環境下で身動き一つせず、1日中相手軍を見張り続けたとされる。

さらには、吐息が白くならないように雪を口に含み口内温度まで下げていた。

ただ狙撃能力が高すぎると思ってたら、忍耐力の鬼でもあったんやな

猟師として人間よりも察知能力が高い動物と対峙して得た能力やろな
ヘイヘにとっては狙撃する上で当然のルーティーンやったのかもしれん

実はサブマシンガンの名手でもあるシモヘイヘ

スナイパーとしての実力だけが評価されがちなヘイヘであるが、
実はサブマシンガンを担ぎ前線に出ることも多かった。

"殺戮の丘"の戦闘ではKP31サブマシンガンを使用して、
公式だけでも200人以上、非公式な記録を含めれば
狙撃で殺害した542以上の敵兵氏を殺害していたとされる。
しかもこの記録は戦争開始から負傷するまでの100日間での戦果である。

スナイパーとサブマシンガン合わせたら100日で1000人以上殺してるやん
仲間やったら頼もしい限りやけど、敵にこんな奴おったら戦意喪失するな

あまりの力量差に敵前逃亡しだすソ連軍もおったみたいやで

生きているのに葬式をされるシモヘイヘ

終戦間近の1940年3月6日に敵の銃撃を顎に受けたヘイヘは、味方兵士曰く
頭の半分なくなっていた」というほどの重傷であったが一命をとりとめ病院へ搬送された。

コッラ―の仲間にはヘイヘが戦死したことが伝えられ、
その病院にて葬式が行われたのだが、その最中にヘイヘがまだ生きていることが判明した。

ヘイヘが意識を戻したのは1週間後の3月13日であったが、
その時既に冬戦争は終結していた。

写真の顎の傷はこれが原因ってわけやな
ちなみにヘイヘは次の継続戦争にも参戦希望してたけど、傷の治療が難航して無理やったみたいや

ヘイヘが参戦しなくて敵軍はさぞかしホッとしたことやろうな

1分で分かるシモヘイヘのコピペ

  • わずか32人のフィンランド兵なら大丈夫だろうと4000人のソ連軍を突撃させたら撃退された
  • シモヘイヘがいるという林の中に足を踏み入れた1時間後に小隊が全滅した
  • 攻撃させたのにやけに静かだと探索してみたら赤軍兵の遺体が散らばっていた
  • 気をつけろと叫んだ兵士が、次の瞬間こめかみに命中して倒れていた
  • スコープもない旧式モシンナガン小銃で攻撃、というか距離300m以内なら確実にヘッドショットされる
  • いとも簡単に1分間に150mの距離から16発の射的に成功した
  • 野営中の真夜中にトイレからテントまでの10mの間にヘッドショットされ即死
  • 戦車と合流すれば安全だろうと駆け寄ったら、戦車長がシモヘイヘから狙撃済みだった
  • 赤軍の3/100がシモヘイヘに狙撃された経験者、
    しかも白い死神という伝説から「積雪期や夜間ほど危ない」
  • 「そんな奴いるわけがない」といって攻撃しに行った25名の小隊が
    1日で全員死体になって発見された
  • 「サブマシンガンなら狙撃されないから安全」と雪原に突撃した兵士が
    穴だらけの原型を止めない状態で発見された
  • 5階級特進で少尉となったシモヘイヘに狙撃の秘訣を尋ねると、ただ一言「練習だ」
  • コラー河付近はシモヘイヘに殺される確率が150%。
    一度狙撃されて負傷すると確実に凍死する確率が50%の意味
  • シモヘイヘが狙撃で殺害した数は505人、
    他にサブマシンガンで倒した数は正式なものだけで200名以上

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